先日ようやくライドウのノベライズを読み終った。
↑コレね。
この本、ファンの間で割と評判が良かった。で、多少期待して読んだの。
確かに割と良かった。
良かったんだけど、気にかかる部分があった。
ライドウをプレイした人の感想をあちこちで読んでいると、このゲームに好意的な人でも、システム面にちょっと問題があるとか(具体的な例については書いてなかったな)、悪魔の種類が少なすぎるとか、プレイ時間に対してややボリューム感が足りないとか、そんな風に言っている人もいました。
システム面に関しては私としては、移動中にレバー押しっぱなしにしていても画面が切り替わると別の方向に行ってしまい、移動が無限ループになってしまう場所があるのが一番の問題なんじゃないかと思います。でも従来の3Dマップではなくてカメラ位置固定式の画面にしたことで画面全体のビジュアルの作り込みができるようになったとどこかで金子さんも行ってたし、これはまあそういうものだと割り切るしかないみたいです。
悪魔の数が少ないというのは私も全く同感です。麻雀いらないから悪魔が多い方が良かったと言ってる人もいたけど…。もしかしたら麻雀のデータ全部取っ払っても悪魔は1種類くらいしか増やせないのかもよ? 麻雀中の新しいビジュアルのデータって所長のアクションくらいだし。でもまあ確かに麻雀はなんで入っているのかよくわからないです。というか私麻雀のルール未だに分かってないので、あっても遊べないんだよぅ。
ボリューム感については…私はまあ、こんなもんでいいんでないかなと思います。そんなに不足感は感じませんでした。
私がノベライズで気にかかった部分というのは、実はノベライズだけの問題じゃなくて、本編でも感じたものなのです。
しかも上記のようなゲームへの不満や不足感よりも、もっとゲームの根幹そのものに関わる部分なんだよね。だからもっと重要で深刻な不満かもしれない。
ただ一つ誤解しないで欲しいのはだからライドウはダメなんだと、ゲームそのものを否定するつもりはないということです。好きでお気に入りなものにも多少はどうかと思う部分があるものですよね。フジの西遊記はそういう部分の方が多かったくらいだし(orz)。ライドウ自体は好きだしお薦めしたいゲームです(多少人を選ぶゲームだとは思うけど)。
以下はネタばれなのでこれから読む人は読まないでね。
長い前振りですいませんねえ。
ライドウに感じた不満…それはシステム的な面ではなくて脚本に関してです。
とはいってもシステムにも関わりがある面です。システムというか…ゲームの姿勢そのものといった方がいいかもしれません。
このゲームはシナリオが一本道でしょう。ライドウがどんな進め方をしても、1種類のお話、1種類のエンディングしか選べない。いや、それに対して不満を持っているんじゃないんですよ。そういうRPGもあると思うからね。
私が気になるのはその結果に対するラスボス戦前のラスボスのお言葉ですよ。
「歴史を切り拓く…その目的はお前の手で葬り去られた。満足か? 真実を知らず、目に映るものだけで正義を判断することが! お前の行動が、遠い将来において、あの狂信的な集団を産み出すのだ」
…いや、あのね、そんなこと言われてもね、目に映るもので個々の出来事に対処していくしか、できることがないでしょう、ゲームのプレイヤーはさ。それなのにね、こういうこと言われても困りません?
途中で選択肢があって、それに対してプレイヤーが選んだ結果のシナリオだったらこういうセリフもありだと思うんですよ。でもライドウって一本道でしょ。プレイヤーが選択出来る余地なんてないでしょ。
途中でアイスソード目当てに殺さなくてもいいキャラクターを殺してね、その結果「あなたは相当ひどいことをしてきましたね」って言われるのはいいんですよ。それはしょうがないと思いますよ。
でもゲームのシステム上選択する余地がない状態でこういう台詞はないと思うんだよ。
でもそういうストーリーなんだからしょうがないって?
だからこれは私の個人的な意見に過ぎないのです。
私の個人的な意見なのだが、こういったゲームにおいて、そういう展開はなしだと思うわけです。もしこれが小説だったらまたちょっと事情が違います。
一本道のRPGはどちらかというとゲームというより小説に近いのではないかという人もいるでしょう。私もそう思います。
しかしそうはいっても、ゲームと小説は決定的に違うところがありますよね。それはプレイヤー(読者)が作品に対して作業を強いられることです。
小説は作業といってもただ文面を追ってストーリーを把握するくらいしかやることはないですよね。
でもゲームはそのストーリーを追うために、東奔西走して、レベルを上げたり中ボスやラスボスを倒したり、お使いしたり、お金を貯めたりと、様々な「作業」を強いられるのです。そうはいってもゲームを遊ぶこと自体プレイヤーが自発的にやっていることだから、「作業を強いられる」という言い方は適切ではないかもしれません。ただ、それをしないと次に進めない(小説でいうとページをめくれない)ということで言えば、やはり強いられているのだと思います。
なぜ頼まれもしないのにそんな作業にプレイヤーは勤しむのか? それはまあその作業自体、ゲーム自体が楽しいからなんだけど、でもそこで作業をこなしている以上、自分が行ってきたその作業自体、つまりゲームの主人公の道筋が「実は無駄なものだった」「間違っていた」「正しくはないことに労力を費やしていた」と思わせるものであってはいけないのではないかと思うのです。
一本道RPGというものを作る以上、その結果に、徒労感を持たせるシナリオを持って来てはいけないのではないかと思うのです。
もちろん、現実には、一生懸命正しいと思うことをやってきたのに全ては勘違いだったとか、無駄な出来事だったとか、そういうことはありますよね? そう言った時の徒労感や空しさはゲームの比ではありません。
でも現実とゲームは違います。
現実でそういった出来事から人々は人生や社会というものを学びます。
でもゲームはただ楽しみでやっていること。ゲームからものを学ぶということもあるとは思いますが、でもこういう学び方はしなくていいと思うのです。だって、ゲームなんですから。
まあ、個人的な意見です。
ちなみに、ライドウ以外で、同じような理由でゲーム自体に問題があると思ったゲームは、ナムコの7(セブン)〜モールモースの騎兵隊〜です。これはね、脚本のオチがひどかったと思っているよ、今でも。ゲームそのものはとてもいいのにね…。
途中で選択肢があって、しかもライドウやドラクエの選択肢みたいに「正しい方を選ぶまで先に進めない」なんて似非選択肢じゃなくて、ロマンシングサガのみたいにどの選択肢を選んでもちゃんとエンディングまで進める奴、それを選んだ結果でラスボスの台詞が変わるとかいうのだったら、こういう台詞もありなんですけど。確かにライドウでも途中でニセ伽耶さんの問いかけの選択肢で、多少出て来る台詞が変わる所とかあるけどさ。でも上記で紹介した台詞は関係なくどの場合でも言って来るじゃないですか。
プレイヤーにそれまでゲーム上での作業を行わせておいて、選びようがなかった選択について文句を言うようなシナリオを書いてはいけないと、私は思うのです。ゲーム制作者に対してね。
ライドウのノベライズに話が戻るのですが。これはまあ小説なんでゲームとは条件が違うと思うでしょう。まあそうなんですが、ゲームに付属した小説という意味では、ゲームに準じた存在だと思います。
そしてね、やっぱり出るんです。私が長々と書いて来たのと同じような「1本道RPGゲームとしてはダメなシナリオ」が。
小説自体は読者が強いられる作業は「読む」だけですけどね。でもライドウ本編で自分がやってたことと相まって、「この脚本はダメだろう」と思わせてしまうわけです。
ところで本編のゲームと相まってるわけではない、小説単独で「これはゲームのノベライズとしてはダメなんじゃない?」と思ったところもあったのを思い出しました。
それは小説でオリジナルの悪魔を仲魔にしているところです。それはないだろうと思う。
あと、最後の最後の「黄金バット絶命」のオチのためだけに「守銭奴のステレオタイプ」描写をされた所長哀れ…。本編でもそういう人だったらそれでも構わなかったけどさ。本編は違うでしょ。本編と違うキャラクター描写をされて、それがあのオチのためだったのか…と思うと、私は脱力しました。
ステレオタイプ描写といえば、上記で文句をいったオリジナル悪魔(本編には出て来ない悪魔)の犬くんね。彼女も「ツンデレのステレオタイプ」だったね。なんか流行りものだからやっとくかって感じでね。私は今イチ感情移入も出来なかったです。キャラクター描写としては表面的だなあ〜というか。なんかこう、無条件でライドウラブなところとかが如何にも「恋愛ゲーで何のフラグもなくても主人公に思いを寄せて来る役割のキャラ」って感じでね。まあ読み進めていくとライドウはなかなか仲魔思いのご主人様であることが判明するので、それはいいんだけど、彼女はそういうのとは無関係にライドウラブだったからね。