「殺人鬼フジコの衝動」舞台版

舞台なんですけど、主に内容についての感想を書きます。
ちなみに原作は読んでないです。
ネタバレがあるのでこれから観る/読む人は注意してください。

親からの虐待や、一家惨殺事件の被害を受け唯一生き残るという常軌を逸した経験を経て、更に転校した先の小学校で同級生殺害という罪を犯しながらそれを隠蔽し裁かれることなく中学、高校生活を田舎で過ごし、上京したフジコという女。

田舎暮らしに心底退屈していて、上京すればバラ色の人生が待っていると考えていた彼女の前に現われたのは、厳しい現実だった。

保険営業の仕事でノルマを達成出来ず、安月給。大学生のバンドマンの彼氏は気まぐれで自分勝手で、フジコに乱暴はふるうし、金は持って行くしで、典型的なクズ男。しかも唯一の友人と思っていた同じ歳の同僚と、クズの彼氏が浮気していることを知ってしまう。

クズ男はフジコのことは愛しておらず、しかし浮気相手の彼女に拒絶され、衝動的に彼女を殺してしまう。
既に殺人経験のあるフジコは「バレなければ問題ない」と彼女の死体を処理し(勿論彼に手伝わせ)、さらに共犯として自分の事を愛しているわけでもないクズ男の彼に自分との結婚を強要する。

都合の悪い相手は殺せばいい。贅沢したい時にお金がない時は働かずとも人を殺してお金を奪えばいい。
友人を殺したことで箍が外れたようにフジコは殺人を繰り返すようになり、そのことに疑問も抱かなくなる。
そしてそれに異を唱えた(フジコが愛していた筈の)旦那(結婚してもクズの、元彼氏)や彼との間の子供をも手をかける。
おりしも日本がバブル経済絶頂の頃、汚れたお金で整形手術を繰り返し、六本木のクラブのホステスに転職するフジコ。
そんな彼女を育ての親である叔母は「虚飾に満ちている、可哀想な子」と蔑むような目で見るのだが。
結局バブルが崩壊し、パトロンが破産、勤めていた店も潰れ、またも人生のどん底に落ちる。

幸せになりたいだけなのに、あと少しでバラ色の人生が手に入りそうなのに、いつもいつもすり抜けていく。
どうしてなの?
彼女は嘆く。

そんなある日、彼女は馴染みの化粧品のセールスレディに刺されて重傷を負う。実は彼女はフジコが小学生の時に殺した同級生の母親で、自分の娘を殺したのはフジコだと思い、復讐を遂げる為に上京していたのだ。
駆けつけた警察に二人とも緊急逮捕される。
一命を取り留めたフジコだが、その後の裁判で今までの犯罪が明るみに出、死刑を求刑される。
二番目の旦那(籍は入れてなかったが、ホステス時代に内縁の夫婦だった不動産業の男)との間に出来た二人目の娘は、フジコが家族をなくしたときと同じく、フジコの叔母、つまり彼女自身にとっての大叔母に引き取られるのだった。

以上であらすじおわり!

以下、感想。というか、突っ込み!

まず、主人公フジコに感情移入や同情が出来ない。私と考え方、感じ方が違いすぎる為。
また、フジコが「幸せになりたいだけなのに」「どうして幸せになれないの?」というような嘆きを発する度に「女の幸せってなんだろう?」と思ってしまう。
そして、フジコの敗因が「幸せの定義がはっきりしてないこと」であることに思い当たるのだ。
どういう状態なら幸せだと言えるのか?
作中で定義されてた覚えは、ない。
フジコはただ嘆くばかりなのだ。自分は不幸だ、と。
この人、「足るを知る」ということを知らない。
それでは、幸せになんかなれるわけないわな、と思う。

彼女に同情すべき点が全くない訳でもない。
フジコは「社会的弱者」だ。
今より男女の性差別があった時代に、たった18歳の女の子が、なんの後ろ盾もなく、単身上京して社会人になる。学歴があるわけでも、それで食っていけるだけの特技があるわけでもない。並大抵のことではない。
ただ、男を見る目がないのは、これはもう本当に自業自得だ。
思わず笑ってしまったシーンに、男にDVを受けたあと、ちょっと優しくされて、その時に「ゆうや君、優しい……」と喜ぶというのがあったんだけど、ほんとそんなだからお前はダメなんだよと言いたくなる。そういう意味では、二人のダメな関係を、端的に現していた名シーン(?)だ。

でも、彼女は基本的に与えられることを求めるばかりの、ごくごく幼い精神状態で、成長が止まってしまっている人間なのだ。
だから、何が自分にとって良いものなのか、誰が自分にとって大切な人なのか、判断出来ないし分かってもいない。
私の見たところ、本当に彼女のために動いてくれていた人は、小坂さんとあんりの二人だけだ。小坂さんは小学生の頃、彼女が殺してしまった同級生。あんりは彼氏の浮気相手の同僚だ。

新しい小学校に転校してきた当初フジコはいかに孤立せずにクラス内での居場所を認めてもらうかに腐心するのだが、ことごとく裏目にでてしまい、半ば恐慌状態に陥ってしまう。その結果犯した小さな罪(カンニングや、クラスで飼っているカナリヤを殺してしまうなど)を小坂さんに見つけられ、彼女は「今ならまだ間にあうから、一緒に先生に謝ろう」と言ってくれるのだが、クラス内で孤立していた小坂さんの言うことをフジコは聞けなかった。あまつさえ、屋上から突き飛ばして殺してしまう。
客観的に見るとクラスの多数派よりも一人でいじめにも参加せず正論を説く小坂さんの方がまともで人として正しいのだが、「クラスでいじめられない」を目標にしてるフジコにはそれが分からない。
多分、こういったいじめの問題は現代でも日本中の学校で起きているのだろう。
フジコが特別にダメな人間というわけではないのかもしれない。
しかし、やはり、私はフジコには共感出来ない。
多分私は少数派でいることに耐性が出来ているのだ。だから、フジコのように多数派に入れない、少数派になってしまうことへの恐怖心が理解出来ないのだ。

もう一人彼女の味方になってくれたかもしれない人物はあんりだ。
彼女自身、友達の彼氏を寝取っておきながら、「フジコとの友情の方が大事。あなたとは付き合えない」と言っている。
彼女も孤独で、何かが彼女の心をフジコに向かわせたのだろうと思う。
でも、であればやはりフジコの彼氏の誘いにのるべきではなかった。
クズ男だが、女の身を持ち崩す程にいい男だったということなのだろう。
フジコの彼氏があんりを殺したところから、フジコのシリアルキラーとしての人生の後半が始まっている。
だから、キーとなったのは、フジコの彼氏が無駄にいい男だった(フジコとあんりの仲を裂く程には)ことだったのではないかと思う。
クズだけど罪な男である。

フジコはそもそもあんりを殺したゆうやを守るためにシリアルキラーへの道を歩み始めたのに、どういう訳か、そういう人生に付き合わされることについていけなくなった彼を殺している。
つまりここで手段と目的が入れ替わっている。
彼女が幸せになれない理由も、ここから読み取れるかもしれない。
言うこと、やること、考えることが一貫してないのである。

で、結局美しい容姿を手に入れること(整形手術で)、そしてクラブでホステスになり男にチヤホヤされることに女の幸せを見いだそうとする。
これもまあ、結局は破綻するのだが。

うーん、女の幸せってそんなもん?
フジコ、君の幸せってそんなものなのかい?
見ていて問いつめたくなったシーンである(そんなことしたら殺されそうだが)。

結局彼女の望んでいたことって、「楽して贅沢な生活をおくりたい」くらいのところじゃないかと思える。
いや、そう思うこと自体が問題なのではない。私だってそういう気持ちがないわけではない。
問題は、一つには、そういう人生を得るには彼女はスタート地点がまず不利だった。生まれついての金持ちでもないし、自分で稼げる程優秀でもないし、そもそも女性が働いて稼ぐには(今よりも)不利な時代だったし、生まれついての美貌を持っている訳でもなかった(これは後に整形手術で取得するが)。玉の輿に乗れるような縁に恵まれている環境でもなかったし、あまつさえ年下のバンドマン崩れのクズ男に貢ぐという失敗までやってのけていた。
もう一つには、それ以外には幸せになれる方法を見いだせなかったことだ。
小学生時代の小坂さん殺し、ゆうやによるあんり殺しまでは、殺すまでの加害者の心理に負荷がかかっていることが描写されているのだが、それ以降の殺しは、フジコによる「分不相応の贅沢をするため」や「今の人生を脅かす存在の口を封じ込めるため」の手前勝手な犯行であって、事件性はあるがドラマ性はない。ただ、フジコを「シリアルキラーたらしめている」状況を説明しているだけだ。うん、同情も共感もできないよね!

さて、ここまでは、主にフジコというキャラクターについての感想。

ここからは作品全体の構成についての感想である。

この話は、ファンタジーなんだろうなと思っていた。
でなければあんなに人を殺しておきながら警察に捕まらないというストーリーがなりたたない。
が、最後にミステリー仕立ての展開を用意してきた。
ということはファンタジーではなく、ミステリーなのだろうか?
しかしミステリーとして考えると、今度は作品全体に穴がありすぎる。
前述したように、1件2件ならまだしも、あれだけ殺しておきながら警察に捕まらないまま何年も過ごすというのは、現実感がない(だからファンタジーだと思った)。
最後に小坂さんのお母さんによって復讐の刃を受けるのだが、あれだけ人を殺していれば、同じように彼女を怪しみ、警察が動かなかったとしても独自に調べる遺族がダース単位でいてもおかしくないのだ。
だから都合のいい話だなあと思う。

最後のカーテンコール以降のシーンはおまけ程度に考えています。

〜おまけ〜
これはこの作品に限らず、前から思っていたことなのだが、都市生活の罠というのが、あるよね。
フジコやゆうやの場合だけど、自分の収入以上の贅沢な生活を望んで、それが身を持ち崩す一因になっている。
都会はモノで溢れているけど、底辺で生活してる人の稼ぎは必ずしもそれらへの物欲に応えられない。ショーウィンドーに飾られてるトランペットを物欲しげに眺めるアメリカの黒人の少年の図というのは、実は今現在でも残っているものなのだ。
だから物欲を昇華するか、ごまかすか、別の方法で満足するか、一生懸命お金を稼ぐか、などの選択を迫られることになる。
それが出来なくて、犯罪を犯すことで安易にそれを実現しようとした人間の悲劇。「遊ぶ金が欲しかった」というニュースで聞き慣れたフレーズ。
そういう考え方でいうと、日本の高度経済成長期〜バブルの時代に飲みこまれた哀れな女の話なのかもね。

〜おまけのおまけ〜
やはり舞台、役者さんの話も。
演出や役者さんの動きなど、良かったです。ちょっとテンポがたるいかな? というところもありましたが。
照明とかね。後ろのドアの使い方とか。うまかったです。
前回見たのが朗読劇だったので、一転して役者が動き回り舞台が全て使われるストレートプレイの楽しさを味わいました。
テーマの「夢見るシャンソン人形」はもっと繰り返し流した方が良かった。合間の昭和歌謡もシーンには合ってて良かったですが、テーマをしつこく繰り返した方が最後の新垣さんのアカペラが効いたと思います。
主演の新垣さんは小学生から最後までのフジコを熱演したのですが、心を病み、シリアルキラーとなる悲劇のヒロインを演じ切っていたと思いますね。
彼女と対となる役、状況に応じてフジコの心情を語ったり、フジコの家族を演じたりしていた早織さん。フジコのドッペルゲンガーのようで恐ろしくもあり、また彼女の心理や状況を補完してくれる存在でもあり……白いワンピースが異彩を放ってました。
村田充さんは執拗にフジコを追いかけ返り討ちにあって殺されてしまう新聞記者の役だったんですが……。普通に上手いです。
で、藤田玲くん。色々な役を見て来たけど、今までにはない役で、見たことのない演技を見る事が出来て、非常にようございました。クズ男演じるのを見るのは楽しかった!(笑)最後までクズでいっそ清々しかった。あと、ファミコンカセットの端子にふってやるのが見られて良かった(何が!)。
小坂さんは萌えキャラだった。フジコが大人になってからも小学生姿で出て来るんですけど、可愛いんだよねー。

以上です。これから見る方は参考になさってください(長いよ!)。